
2006年 1月16日(月)〜22日(日) 7日間
ボランティア幹事: 長谷川 順一
後藤神父と難民の子供達を育てた記録の本を一読することをお勧めします。
カンボジア発ともに生きる世界 女子パウロ会 1200円
1月14日(金)
もゆる会からの贈り物を受け取る。
鉛筆、ボールペン、消しゴム、ノート、カレンダー、壊れた時計(62個)
これ以外に自分で用意したものは 鉛筆、折り紙、化粧品、飴玉など。
また、細川さんから預かった赤十字ボランティアの英訳された絵本6冊。

もゆる会からの贈り物 細川さんから預かった英訳された絵本
1月16日(月)
成田集合8時15分
成田からの参加メンバーは13人。全員AMATAK会員。秋田の神父さん伴さん。
元聖心体育教員鯨井さん、3年前に旦那様を亡くして、カンボジアで井戸掘りに勤しむ
岩本さん、それ以外は信者さん。
預ける荷物20Kg以上は通常有料となるが、タイ航空からは、1人5kgまではサービスし
てくれるという事で、後藤神父が事前にダンボール7個(65Kg)の援助物資分を用意。(13人分)
これをオーバーする荷物が発生し後藤神父から荷物を持ってくれと頼まれる。これも自分の
手荷物に加え、気合で荷物を運ぶ。
10:45 タイ国際航空TR641にてバンコクへ出発
15:45 (現地時間:日本より2時間遅れ)バンコク到着
ここで産経新聞社会部記者の徳光さんと合流。
彼は新聞にカンボジアの連載記事を書いているとの事。
18:00 タイ国際航空698便にてプノンペンへ
19:15 プノンペン到着
到着後 ビザの取得 パスポートと申請書を渡し、待っていると名前が呼ばれ $20と
引き換えにパスポート(ビザはパスポートに張られる)を受け取る。
空港ロビーでニョさんがお出迎え。
ニョさん(日本名 奥澤 俊さん)は後藤神父の里子。現在はP.I.T. Travel(Cambodia)
を経営。今回の旅もニョさんの手配により格安になっている模様。
ニョさんのバスでホリデイ・ヴィラへ。
21時から夕食。ビール1本(Anchor Beer)$3
何も不自由は無い。ただ、皆一斉に使い始めたのか、シャワーのお湯が出ない。
1月17日(火)
午前中のガイドさんはスワットさん。九州で日本語の勉強を行ったそうだ。公務員だが
給料が安いために、ガイドのアルバイトをしているとのこと。
トゥールスレン博物館
かつて高校であったが、ポルポト時代に収容所となり20,000人近くのカンボジア
人がここで拷問され殺害された。「家族の一人がここに入れられると、拷問され自白
させられその一家すべてがここに収容され殺された。」
タイル張りの床、鉄製のベッド、収容者をつないでいた鉄製の足かせ。
壁には、拷問後の収容者を描いた絵と写真。殺された人の顔写真。その年齢は幼児か
ら老人までと幅広い。頭蓋骨で作られたカンボジアの地図。

キリング・フィールド
処刑と埋葬が行われた場所。慰霊塔の中には頭蓋骨の山。子供の頭を叩きつけて殺し
たキリングTree。遺体を埋めた穴。埋葬現場ではまだ1万人以上の遺体が発掘されて
おらず、犠牲者の骨や衣服が歩道から顔を出している。
昨年の2005年6月に日本企業の資金が入り込み慰霊塔が建設された。
それまで50セントだった入場料は$2に跳ね上がり、今後はキリングフィールドを記念
公園にするという計画もある模様。外資が他国の負の遺産を金儲けの道具に使って良
いものか?一方カンボジア国民はキリングフィールドの存在も知らないほど。生きる
のに精一杯でまだ歴史を振り返るところまで国民には余裕が無いのだそうだ。

ごみ山
ここは、名前の通りごみの山。悪臭と煙。ごみをあさって生活する人々。その子供達
のために、隣には学校がある。ここの先生は甲状腺が腫れている。大量のダイオキシ
ンがばら撒かれているのだろう。ごみ拾いはアルミ、銅、鉄、ビニールを見つけてい
るらしい。働く人の中では
1. 車で来て最初の掘り出し物を探す人。
2. その残りをダンプ1台いくらで売る人。
3. さらにその残りをさらう人。
の3段階があり、1の人は結構良い家に住んでいる。ごみ山の周りの地価も上昇し
ているとのこと 歩いているうちにのどが痛くなった。

ラーさんのシェルター
売春に売られた女の子を後藤神父が連れ出してかくまったシェルター。命を狙われる
危険があるということで中止したとのこと。今では無料宿泊所になっている。
ここはボランティアからの物資が置かれる倉庫にもなっており、AMATAK
以外のボランティアからの物資も学校支援のためにラーさんに頼まれるそうだ。
ラーさんはNGOとして学校建設のボランティアを中心に行っている後藤神父の里子。
この日、ラーさんには聖心の生徒の皆さんから預かった壊れた時計を渡す。壊れた時
計を修理して再生させる職人さんに渡すとのこと。

ニョさんの話
学校を作る事もよいが、カンボジアの国力を上げる事も考えないと大学を卒業しても
カンボジア内に仕事が無く、タイに流出する人が多い。
天然ゴムは良質なものが取れるが、カンボジア天然ゴムは知られていない。ベトナム
企業が買い占めて輸出されるため、ベトナム天然ゴムとして売られている。
ガソリンなどのエネルギーが高いが、最近海底油田が発見されて期待が持たれている。
カンボジアに地震はない。姉葉設計でも充分。(カンボジアの建物はもっと危ない)
プノンペンも年々変わってきている。取り締まりも厳しくなり、売春宿も一掃されて、
売春ストリートも無くなった。
夕食はプノンペンのカンボジア料理
夕食後、後藤神父の部屋で5人で酒盛り。酒は後藤神父お手製のカクテル。
秋田の神父さん伴八郎さんの話題で盛り上がる。伴神父は秋田で幼稚園の園長をやっ
ている。とても人間味のあるユニークな人。後藤神父はとてもかわいが
っている様子。しかし、後藤神父からは自分の子を叱るかのように怒られっぱなし。
23時30分まで神父の楽しいお話。透視、超能力を持っている神父の話など。
1月18日(水)
朝9時 4WD5台(内荷物用のトラック1台)でプノンペンを出発。ニョさんは同伴せ
ずここからはラーさんの出番。カンボジアテレビ局(日本で言えばNHK)の撮影クルー
1人も同伴。
R5号線をひた走る。300kmの道のりである。
舗装されていてスピードは出せるがとても危険。
信号や横断歩道、中央線などあるはずも無く1本の道を、牛、歩行者、自転車、バイ
ク、トラクター、バス、車が入り乱れてチキンレース状態。何度冷や汗をかいたことか。
しかし、日没前に目的地に到着しなければ、街灯も無いわけで走れなくなる。運転手も
必死の様子だった。今回の旅で最も危険だったのが交通事故の可能性。
11:00 病気で亡くなってしまったNGO職員の家族の家に立ち寄る。後藤神父が援助している
未亡人も病気で次の日からプノンペンの病院に入院するらしい。
後藤神父は大歓迎される。
12:30 ココ町で昼食。店員にスープをジーンズにこぼされる。履き替えるものを持って
いないのに! ここからくさい毎日が続く事になる。
13:30 ラーさんに井戸を掘って欲しいとお願いしている村の見学。到着後、村中の人た
ちのお出迎え。国道脇でもこのような貧しい村があるのかと驚き。水汲みは2km先まで
行かなければならない。日本から来た人たちは何とかしてあげたいねという気持ちになる。

16:30 バッタンバンのアンコール王朝時代の遺跡近くで後藤神父が面倒を見ている一
人暮らしのおばあさんの家に寄る。このおばあさんと後藤神父は以前旅の途中でたまた
ま遭遇し、話をしたと言う。旦那さんは地雷を踏んで死亡しており、子供夫婦は行方不
明。孫と2人暮らしをしていたが、その孫も生きるために出て行ってしまった。食べる
事も出来ない暮らしだったので、ラーさんが時々立ち寄りお米を運んでいる。この日も
お米を一袋置いて来た。家はぼろぼろで、その日生きるのがやっとと言う様子であった。

プラウダム・レイクラウから待ち受けていた兵隊さんの護衛が付いた。
日没寸前にプラウダム・レイクラウのラーさんの妹さんの民家に到着。
大歓迎を受ける。皆抱き合っている。どこに行っても後藤神父はカンボジアの人から
慕われている。

ここで、聖心の子供たちからの贈り物、赤十字からの絵本、その他すべての贈り物をラ
ーさんにスーツケースごと渡す。これで私の任務はひとつ完了。ラーさんからもとても
感謝された。手渡した物資の中で聖心のカレンダーはここの民家に1つ掛けられた。

19:00 ラーさんの妹さん手作りの晩御飯。ここの民家には数世帯が同居している。子供
がとても多い。ここの人たち特に子供はとてもにこやかで、知らない私にさえすぐに寄
り添ってくる。
妹さんは日本人や兵隊さんの分を含めて80人分の食事を用意するとのこと。
こんな田舎に来て、こんなにおいしい料理が食べられるとは驚き。
氷を売っている店があり、クーラーボックスでビール、ミネラルウォータが冷やされて
いた。しかし、住民の人にとってはお祭りのようなもので、普段はこのような贅沢な食
事は出来ない。後藤神父から、料理を残すようにとの指示。日本人の食事の後、待って
いた住民の人たちは日本人が残した料理を食べる。個人の器にスープを残した人がいた
がそれもまとめて食していた。申し訳ない気がした。
普段飲み水として使っている水をこの時は日本人の水浴び用に提供してくれる。
ただ、水は黄色く、匂いがある。目に入らないようにとの指示。汗臭い体を水で洗い流
す。顔を洗うのも、口を濯ぐのもミネラルウォータ。
電気は無く夜になったら真っ暗かと想像していたが、蛍光灯がある。最近では車用のバ
ッテリーを貸し出す業者があり、それを毎日借りてきているという事。

夜空は星のじゅうたん。こんな空を見たのは、アフリカのモロッコ以来。
この晩も後藤神父と酒を酌み交わす。この地に来ると人々が助け合って、多くの
人たちがつながりを持って生活している。今の日本より良いところはたくさんある。
自分は援助をしているつもりでも、時には疑問を感じることもある。ここの人は援
助を受けなくても幸せに生活しているのではないか?我々が持ち込む文化や物資が逆に
彼らを堕落させる事になってないか?と神父のお話。
寝る所は高床式住居の2階。普段住民の人が使用している部屋と蚊帳を提供してくれる。
住民の人と兵隊さんは廊下や床下にハンモックを吊るして寝る。申し訳ない。
1月19日(木)
朝3時 鶏が鳴き始める。それに続いて犬も鳴き始める。田舎の朝は早い。
朝4時 人が動き始める。
朝5時 起床。 明け方は冷え込み、Tシャツでは寒い。
6時から近くの朝市まで散歩。歩いていると、村の人が皆見ている。多分外国人などこの
村に来ないのだろう。朝市ではねずみ、豚肉などの食料品。また雑貨や衣類など
結構充実している。
この後他の村を見て分かったことだが、ここは裕福な村だったのだ。
各家にはTVアンテナがあり、白黒TVが置かれていた。
7時から朝食。おかゆがおいしい。
朝食後、村長さんが訪問。1937年生まれ69歳(カンボジアは数え年)のチエ・ドムさん。
1979年ポルポトが亡くなってから、村人1万人のうち3,000人の若者がタイに仕事
を求めに行き始め、2002年ごろから帰ってくるときにアヘンを持ち帰るのが悩みだとの事。
また昨年は雨季の時期がずれて米の出来が悪かったとの話を聞いた。
8:00 出発
9:00 バンテミンテ州 プレイ・トテゥン 学校の竣工式に参列
民家の子供達も車の後部に乗り込む。学校は行きたい時に行けばいいらしい。
この学校は1年生50人。2年生48人。3年生43人で3つの教室がある学校。それ以上
の子供は別の学校に通う。別の学校からも竣工式に参加し、集まった子供は1200人。
大歓迎。
この学校は、昨年の後藤神父の誕生日9月13日から使用されているが、本日が竣工式。
後藤神父からは米百俵物語の話。その次に出てきたのが
カンボジア教育若者スポーツ大臣。
この人が1人で45分も話し続けたのだが、仏教問答で手を挙げて前に出て答えられ
た子供にその場で賞金を出し、またその6人に対しプノンペン大学まで奨学金を出して
あげるとその場で約束をした。その後、後藤神父、ラーさん、伴神父、鯨井氏に勲章と
賞状が授与。テープカット。後藤神父のサインが行われ。竣工式終了。
細川さんから預かった、赤十字から提供された翻訳絵本6冊は後日この学校に
ラーさんから渡される。
この後、学校、民家などいろいろなところを回ったが絵本などはまったく無く、
大変喜ばれるだろう。
子供たちと話をする。ヘンティーちゃん9歳とその妹の1年生のラーティちゃん。
学校は楽しく、もっと学校を作って欲しいとのことだった。
1時間30分かけて歩いて学校に来るらしい。

12:30 ラーさんの妹さんの家に戻り、昼食。その後、皆さんはお昼寝タイム。
子供達と遊んでいる人もいた。日中の気温は屋根下の風通しのよいところで38度だった。
とても外に出られる状況ではない。犬も猫も日陰でぐったりしている。
女性1人が竣工式後ダウン。
ラーさん、後藤神父とお話
ラーさんは後藤神父の本をお読みになると分ると思うが、ポルポト支配下のカンボ
ジアで極限状況を生き延びてきた人である。両親は行方不明。奇跡的に4人の妹のう
ち3人と再会でき、妹3人はこの地で暮らしている。少年時代の記憶があるのだろう
か? PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ今でも笑いは少ない。しかし、今で
はカンボジアの人々の幸福と平和を作ろうと日夜活動している。
AMATAKは年に1校学校を作りを目的としている。学校を作るにはトイレなども用意
する必要がある。約$22,000程度で出来る。その他、今まで作った学校の支援、NGO
の維持費、活動費なども含めると年間予算は$70,000が必要となる。学校を作るほど
費用は膨らんでいくので、AMATAK自体も膨らんでいって欲しいのだが、現在会員数
200名程度。会員の年会費だけでは250万円程度しか集まらない。
現在は後藤神父が1人で支えているところが大きい。
ラーさんはAMATAKの副会長を務め、カンボジアでの中心人物だが、現在悩みもいく
つかあるようだ。
1. ラーさんのところには病気で苦しんいる人、食べられない人、
それ以外にも井戸を掘って欲しいなど、多くの人が頼って来る。
そんな人を放っておけないが、AMATAKは基本的に学校建設を目的としたNPOであり、
勝手に人を助ける事は出来ない。AMATAKのお金を使おうとすれば
報告書を作成しなければならないが、病気の人がその回答を待っている事も出来ないし、
また病人から領収書などもらえるわけも無い。NPOという組織になってしまった為に、
制約も出てきてしまっており身軽に動けないジレンマがある。
2. 政府からは学校建設、その他ボランティアに対して資金はいっさい出されない。
3. このような状況を打開するために、ラーさんは自分でお米を作って
年間$3,000のボランティア資金を捻出している。
4. しかし、昨年は米が不作で$1,000しか収入が無かった。
ラーさんと3人の妹
ソムナム家の長女
ソムナム家は子供8人。以前は貧しい家では長女が売られていくのが宿命で、
長女はそれを認識している時代があったそうだ。
そんな時代に後藤神父が作った学校の校長からソムナム家の長女を何とか助けて
欲しいとの話があり、娘も学校に通いたいとの希望があったため、お金を出してあげ、
一生懸命勉強して大学まで行って、戻ってきて学校の先生になってくださいという
約束をした。その娘が遊びに来た。
現在高校2年生。ゴルファー宮里藍に顔が似ている。今回参加している岩本さんもこ
の娘の学費を援助している。
前回後藤神父がこの娘と話をしたときには、娘は大学に行きたいと言っていた。
ただ、学校の先生として村に返るのは嫌な様子で、
プノンペンで働きたいとの希望を持っている。
プノンペンでは外資系企業で働くと$300/月程度もらえる(学校の先生の10倍以上)
からだ。と言う話を聞いていた。
今回娘の話を後藤神父が聞くと、なんと高校を卒業したら2年間養成学校に行って、
先生になると決めたとの話。4年間大学に行くよりは、2年で早く卒業してお金をもら
いたいとの理由らしい。後藤神父は大喜び。君が育てた子供達がカンボジアの人々、
また世界の人々を幸せにする。それが君の財産になるのだ。
ラーさんは、学校の先生になっても給料は$20/月で1人では生活できない。学校の先
生はほとんど両親から支援を受けているが、この娘の家は貧しく、家族も学校の先生
になることは反対するだろうとの意見。
これを聞いていた岩本さんも複雑な表情。自分の子供のように思っているのか、考え
直してみたらと言いたいと私の耳もとでささやいた。
さて、今後この娘の人生はどうなっていくのだろうか?
ラーさんの話では、現在は売られていく娘はいないそうです。この村が以前に比べて
豊かになったからでしょうか?米の袋はいくつも民家の前に置かれています。

15:30 村の近くのプラダムレイクタウン小学校へ
ここも後藤神父が建てた学校の一つ。
校長先生はプーチューン先生。
木曜日は学校が休みとの事だが、校長と数人の子供達が待ち受けていた。
この学校は生徒590人、6歳〜16歳の子供達が通って来る。
6教室あり、50名/1教室で午前と午後の2部制。
ラーさんから校長にノートと、日本の聖心の子供達からの贈り物ですと、
鉛筆を渡された。私が運んできた事も伝えられ、手を握ってとても感謝された。
校長からは後藤神父に校舎を増やして欲しいとのお願いがあった。
16:30 子供達と手を繋ぎながら歩いて村へ帰る。兵隊さんも歩いて護衛。
この日の予定はすべて終了。民家に帰って食事。

その後、この日も後藤神父の話を聞きながら酒を酌み交わす。
後藤神父の生い立ちのお話がはじまる。父親の事。
代用教員をしていた時に好きになったみつ編みの女性の事。
それから神父に至るまで。などなど。それにしても神父さんは
美しい女性の方がお好きなようです。
後藤神父のいつも傍にいる女の子(中学1年生)はとってもかわいい女の子でした。

1月20日(金)
5:00 起床
7:00 朝食
8:30 村を出発。本日は後藤神父さんが建てた学校回り
悪路を奥地に進んで行く。雨季に車ででこぼこにされた道が、そのまま乾季に道が乾き、
ひどいでこぼこ道。途中、旧ポルポトの村を通過。
旧ポルポトの人々は政府から家を建てる事を許されていないらしく、
テントでの生活を強いらていると言う。そこにも子供の姿はある。
旧ポルポトの村を抜けても奥地に入っていくほど、
貧しい村になっていく。もちろんTVアンテナなどは立っていない。

10:00 オープチュトメイ小学校に到着
ここでも子供達のお出迎え。大歓迎される。親達も集まっていた。
教室は3つ。先生は9人。全員に飴玉を配る。ここでもラーさんから先生にノートと
サッカーボール、日本の聖心の子供達からの贈り物ですと、鉛筆を渡された。
教室には後藤神父の絵が飾ってある。多分この人たちからすると、フランシスコ・ザビエル
のような存在なのだろう。後藤神父から、子供達に大きくなったら何になりたいかとの質問。
お医者さん、学校の先生、男の子はサッカー選手。女の子は服の仕立てやさんが多かった。
後藤神父は子供たちに囲まれてとても楽しそう。
ここも5km先まで水汲みに行かなければならないとの事。
井戸の必要性を感じた。でもこんな悪路の奥地に、機材を運ぶのは難しいだろう。
井戸の代わりに、ため池を作るにしても$5,000はかかる見込みだそうだ。

11:00 出発。旧ポルポト派の村に向かう
11:30 旧ポルポト派のチェニ村に到着。車を降りた近くの民家に兵士が入り安全を確認していた。
やはりここが一番貧困の様子。学校も他の学校と異なりほったて小屋。よって教室は1つ。
道を作るために両脇を掘って道を盛り上げ、雨季になっても陥没しないようにしている。
掘られた所はぬかるみになっていてその脇に不法に建てられた民家が数件ある。
この村はもともと旧ポルポト派の村であったが、ポルポト派を追放するために政府が
この土地を民間人に売ってしまった。旧ポルポト派の人々は農地を持てず、
小作人として働いている。よって非常に貧しい。
しかし、後藤神父が建てた学校の敷地(138m x 140m)は売られる事なく残された。
勲章までもらう後藤神父の建てた学校を政府も売る事は出来なかったのだろう。
既成事実が政府に勝った学校である。道から学校に渡る橋は1本の板。腐りかけていて危ない。
やはりここも遠くまで水を汲みに行く必要があるとのこと。
ここでもラーさんから先生にノートと、日本の聖心の子供
達からの贈り物ですと、鉛筆を渡された。
飴玉も子供達全員に配る。学校からの要望は教室を1つ作って欲しい。
机の補修。学校前の橋の補修。
井戸は掘った事がないとの事でした。

13:00 民家に帰って昼食
岩本さんからの相談
岩本さんは、前にも書いたが、3年前に旦那様を亡くした。
生前2人で定年後は、アジアの国でボランティアをしようと話していたそうで、
その意思を1人になっても行っている。今まで、シェリムアップに8つの井戸を掘り、
あと2つ予定している。
都会に近く、海抜も低い事からシェリムアップ地区で井戸を掘るのはたやすく、
1つ1万円程度でできていた。
今回はこの村に井戸を掘りたいと思って来た。
プラダム・レイクラウ(この村)で井戸を掘った事が無いのでどうしたらよいか良くわからず、
NGOモニティの栗本さんに相談した所$1,500ぐらいはかかるのではないかと言う事で、
ラーさんにお金を渡して調査してもらおうと思っている。
しかし、今回見てきた奥地の学校でも生きていくには必要なものだと思う。
特に18日に訪問した村は見てしまった以上何とかしてあげたい。私1人では力が及ばないので
聖心女子学院の皆様も力になっていただけないでしょうか?と言うご相談。
後藤神父からは是非皆さんと相談してくださいとの事。
個人としては私も出来る範囲のご協力はしますが、持ち帰り相談させてくださいとお伝えした。
15:00 ユープサムラウン小学校に到着
子供達は2時間も我々の来るのを待っていたようだ。
ここでも大歓迎。ここでもラーさんから校長にノートと、日本の聖心の子供達からの贈物ですと、
鉛筆を渡された。
飴玉も子供達全員に配った。
生徒は男子生徒127人、女子生徒102人の229人が通う学校。1,3,5年生が午前中
2,4,6年生が午後の2部制。
ここでは、やしの実のジュースが出され、校長先生とお話。23歳の女の先生2人も同席した。
校長はアム・ボーラさん1981年10月生まれの25歳の若い女性。
養成学校に2年行った後先生になり、その後2年で3ヶ月前に校長に就任した。
この村で校長になりたい人がいないため、2年で校長になってしまった。
然かもしれないが奥地の先生になりたがる人は少ないらしい。奥地の校長になったからといって、
州や政府からの援助は何も無く、月給は$35/月。スーと言う村から
片道20分かけてバイクで通っている。
給料はガソリン代だけで無くなってしまう。やはり生活は親の援助を受けている。
この学校卒業後は、36人全員がここから5km離れたスー村の中学校に行く。
貧乏だからといって学校に来られない子供はいなく、えんぴつ1本だけ持って学校に通ってくる
子供達が大勢いる。校長先生の要望は、1.職員室 2.子供達のノート 3.教科書などの本
4.出来れば先生の給料 ということだった。

16:00 チュノカオ小学校に到着
この学校は訪問した学校の中で唯一後藤神父が建設した学校ではない。
ここはオーストラリアのCSRという団体が13年前に建設した学校だが、設計が悪く基
礎工事がされずに柱は地面に乗り、細い金属1本で留められていた。壁は土壁でぼろぼろ。
風が強い日は校舎が揺れだして、子供達は外に避難するという。CSRに補修をお願
いしたが返事は無く、建てたらそれでおしまいという対応のようだ。それで、ラーさん
に新しい学校を建て直して欲しいと言う要望が来ている。AMATAKは1年に1校を建設
する事になっているので、ここが次期学校建設の候補地。女子生徒76人、男子生徒69
人で1〜4年生が通う。教室は現在2つだが、4つにすれば5,6年生も通うことが出来る。
現在5,6年生は5km先の別の学校に通っている。トイレも必要。校長は1942年
生まれ65歳のスマン・ソピェップさん。ラーさんが建設方法と金額面での調査を行う事
となった。ここは旧校舎を撤去しなければならないため費用が嵩む。
これで、2日間の学校訪問はすべて終了。民家に帰る。結構精力的に学校を回った。

19:00 最後の晩餐
私にとっては一緒に旅をした皆さんと最期の夕食。
その他の人もお世話になった民家の人たちと最後の夕食。
夕食後、後藤神父から岩本さんが皆さんにご相談があると、全員を招集。岩本さんから
井戸掘りに協力してもらいたいとの話を皆さんに伝える。
さすが後藤神父。この件はこの中の人たちの気持ちと言う事で、
箱を用意しますから賛同できる方は募金してください。私も寄付させてもらった。
結局この場で集まったお金は $785とのこと。
岩本さんからは、今回ここに井戸を掘るために余裕を見て$2,500用意して来たので
$783を加えれば途中でお願いされた村とこの村の2箇所は何とか井戸が掘れそうだと喜んでいた。
この件もラーさんがこれから調査に入るようだ。
後藤神父と2人でお話
今後聖心の生徒達はどのような事でご協力が出来るでしょうか?
生徒達で出来る範囲の事で気持ちを伝える事が大切。
また、単発で無く継続して支援していく事も大切。途中で投げ出されてしまったら
チュノカオ小学校の様に困る人々もいる。ボランティアでも1箇所に絞ってそこだけを徹底的に
援助するというやり方をする人達がいるが、私はそのやり方はお勧めしない。
最低限のものは与えるが自分達の力で未来を切り開いて行く力を養って欲しい。
だから私は学校を継続的に建設している。お金はよほどの事がない限り与えない。
やりたいことはたくさんある。AMATAKを作った事により思ったように動けない時もあ
るが、何もかも出来ないので、継続的に何が出来るかということを考えるべきだと
思います。聖心の生徒の皆さんが支援していただけるというのであれば、今日の学校
の校長先生の要求にもあったように、定期的にノートをお渡しするなどはいかがでしょ
うか?ただし、日本からノートを運ぶのは大変なので、ラーさんにお金を渡してカンボ
ジアで買ってもらって届けた方が良いですね。
民家の人々と最後のパーティー
今日でお別れということもあり、子供も大人も集まってきた。
まず、後藤神父から出発前から頼まれていた手品のご依頼が!3種類の手品を無事成功さ
せ盛り上る。次は後藤神父。私がさくらになり、紙に書いた数を当てる透視の手品。
鯨井氏に私がサインを出しているのを見破られ、タネをばらされる。後藤神父こら何を
言うか!鯨井氏叱られる。後藤神父も本気。
その後カラオケ大会。もちろん伴奏などない。カンボジアの女性が日本曲、涙そうそう
を熱唱。うまい!子供達も恥ずかしがらずに前に出て歌う。後藤神父は踊る。最後に皆
1曲歌って終了。楽しい民家生活でした。
1月21日(土)
田舎の朝はいつも同じ。今日で民家の人たちとお別れ。世話をしてくれた人たちも何か置いて
いってくれるだろうと興味津々。私はこの旅で着古したTシャツ、下着、石鹸、ティシュペーパー
、薬など、ほとんどの物を差し上げた。帰りの荷物は成田まで着ていた長袖のシャツ1枚とジャンパー、
カメラだけ。スーツケースもなく、本当にきれいすっかり無くなった。帰りは軽くて気分も軽い。
8:30 民家の皆さんとお別れ。子供達が泣き、皆抱き合っている。また来たくなってしまう。
後ろ髪を引かれながら出発。
9:00 カトリック村の聖堂でミサ
後藤神父から伴神父にいきなりお話をしなさいと振られ、伴神父何も考えていなかった様子
でたじたじ。大爆笑。

10:15 ここで護衛してくれた兵隊さんたちとお別れ。R6号線をシュリムアップに向け
ひた走る。道は舗装されておらず、砂煙を舞い上げながら突っ走るが。がたがた道は非
常に疲れる。途中、後藤神父の建設された学校2校を通過。
12:00 昼食。だいぶ都会に近づいてきた。ここは実費。たくさんの料理とビールを飲ん
でも1人$6 安い。後藤神父だいぶ疲れている様子。77歳のお年にしてはとても元気だ
が、若者?の私でさえこれだけ疲れているのだから、ちょっと心配である。
15:00 シュリムアップに到着。
シュリムアップはアンコールワット遺跡に来る観光客でにぎわっている都市。
車の渋滞もある。多くの豪華なホテルが立ち並ぶ。高級なホテルは1泊$250。
日本人、韓国人向けのおみやげ店も多い。地価はこの5年で300倍に跳ね上がったとか。
プノンペンより仕事が多く、ラーさんの従兄弟もプノンペン大学でホテル観光学を学んでいる
そうだが、今年シュリムアップのホテルに就職。
ホテルに到着。ニョさんのお出迎え。皆さんとはここでお別れ。本日、私と伴神父の
2人は帰国であるが、他の人はあとここで3泊。アンコールワット遺跡を見学する予定。
カンボジアに来て、アンコールワットも見ずに帰る日本人は私ぐらいだろう。これ以上
会社を休めないので仕方がない。
本日ホテルに泊まる高橋さんの部屋でシャワーを浴びさせてもらう。
久しぶりのシャーワーで気分すっきり。しかし着替えを全部あげてきてしまい、汗臭いT
シャツと腐っているジーンズを再度履く。このホテルは無線LANが設置されていた。
徳光さん早速Webアクセス。東京が大雪だと言うことを知る。
17:00 後藤神父とラーさんに見送られて出発。シュリムアップに来てノルさんの店で夕食
を食べられないのはかわいそうと新聞記者徳光さんの意見。
ノルさんは後藤神父の最初の里子。彼も以前学校を2校建設。
アンコールワットに橋も建設した。
現在はCafe Moi Moiの経営者。奥様は日本人でデザイナー。
徳光さん、伴神父と私がニョさんに連れられてノルさんの店だけ見学。ノルさん駆けつける。
また来ますと挨拶だけして、空港へ向かう。徳光さんも空港まで見送ってくれた。
この旅で皆非常に仲良くなった。

ノルさん(左) ニョさん(右)
19:30 どうやら、伴神父のことが皆さん心配な様で、皆さんから成田まで無事に連れ
て帰ってと頼まれた。
空港は観光客で大混雑。ニョさんの会社の人が空港の中までついて来てくれた。
彼は空港職員と顔なじみで、長い待ち渋滞をすり抜けて、知り合いに出国手続きの為に
我々のパスポートと$25を渡し、5分もかからず出国。予定より1時間早い飛行機でバンコクへ。
20:30 バンコク到着
23:50 バンコクからPG949 にて成田へ
9:30 成田に無事到着。着陸後雪の影響かゲートが空いていなく機内で1時間待たされる。
12:00 自宅到着。やっと腐ったジーンズを脱げた。
まとめ
ヨゼフ会ボランティア幹事として私の旅の目的は、聖心の生徒達の気持ちを届ける事。
現地を視察して、今後ヨゼフ会、また聖心の生徒の皆さんがカンボジアでどのようなボランティア
活動が出来そうか、現場に直接行って見てくることであった。
レポート中にも書いたが、AMATAKは後藤神父とラーさんの2人の活動家で
ほとんどの部分が支えられ、
この2人のどちらかが欠けたら、何も出来なくなってしまうだろうと想像できる。
オーストラリアのCSRと同じ状況になってしまう危険性を持っている。
これはAMATAKとしての課題であり、後継者や組織作りを強化し、継続的に活動が出来る
状況に早く持っていくべきであろう。
一方、ヨゼフ会はAMATAKに協力することも考えられるし、また、AMATAK(学校建設)以外
のところで活動する事も考えられる。例えば井戸掘りなど。
しかし、いずれにしても現在はラーさんが頼りである。別のNGOを頼るという事も考えられるが、
どのようなNGOなのか調査は必要かもしれない。
カンボジアの人達は生きるのに必死である。気をつけなければならない事は、
余計な文化や物資を持ち込まない事だ。
民家の周りはゴミが多く、どこに行ってもビニール袋が捨てられている。
彼らにとって村をきれいにしようとか、リサイクルを考えようなどの発想は無い。
生きるのに精一杯だからである。
このようなところに彼らがその危険性をハンドリングできない文化や物資を持ち込めば、
ウィルスに犯された状況になる。
ゴミの山が良い例である。このあたりの事も考えつつ、何を行ったらいいのかを考える必要がある。
今回の旅にボーダーフォンのG3携帯を持っていったのだが、驚いた事にカンボジアの
どこでも、アンテナマークが出る。奥地のチェニ村でさえ繋がった。おかげで、メール
を自宅に毎日出す事ができ、家族の心配も軽減できた。
今回の旅の魅力は何と言っても、後藤神父の魅力。
私は今回参加された皆さんとは目的が異なっていたので、学校回りは大変良かったが、
他の方は後藤神父がいなかったら学校を回っても面白くなかったかもしれない。
私と徳光さんは2人で後藤神父の傍で朝から晩まで取材状態だったが、
人間味のある後藤神父の優しさと面白さ、カンボジアの人に対する愛情、また慕われる姿は、
誰が見ても心が洗われる。毎年、同じ旅に同じ人達が参加する事が理解できる。
人懐っこいカンボジアの子供達とのふれあいも魅力だろう。できる事なら自分の娘も
いつかカンボジアの子供達と遊ばせたいと思う。
1つだけ、後藤神父にお願いがある。
健康管理にだけは注意して欲しい。そしていつまでも、カンボジアに来られることを願っています。
最後に、毎日お祈りしていただいた、シスターの皆様。またヨゼフ会の皆様。何事も無
く無事に帰って来られたのも皆様のおかげだと思います。ありがとうございました。
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